僕が初めて海外留学に行ったのは中学2年生の時でした。当時、葛飾区にある公立中学校から、男女1名づつニュージーランド・オーストラリアに行けるというプログラムがありました。費用は葛飾区が全て負担してくれました。って、今振りかえってみても、相当太っ腹キャンペーンですよねーこれ。僕が行った翌年から、資金不足でこのプロジェクトはなくなりました。後輩達よ!ごめんなさい(笑)
話を戻します。夏休みの間、ニュージーランドのPutaruru(プタルル)という田舎の家族のお家にホームステイしながら、現地の中学校にローカルの生徒に混じりながら授業を受けました。
目次
海外に行きたい
新しい文化、知らない土地、知らない言葉。何もかも新鮮でした。言葉にすると味気ないですが、本当に毎日起きて学校に行くのが楽しくてしょうがなかったです。
帰国してからも、将来は海外に住みたいなーと熱が冷める事はありませんでした。大学進学の時にアメリカの大学に行く事を決意しました。僕の両親は子供の頃から僕にやりたい事には、とても協力的でした。(やりたい事をやらせてくれた両親には本当に感謝しています)
相談はするな
高校3年になると、周りからも進学はどうするの?と頻繁に聞かれるようにります。
留学の事をいう度に否定的な事を言われました。
「それって日本の大学では出来ない事なの?」
「海外の大学行って、将来は何の仕事するつもり?」
「現実逃避でしょう?」
その他、色々な事を言われました。4人くらいの大人に囲まれて論破されて、泣きそうになった事もありました(笑)でも、留学した事は間違いなく僕が人生で決断した事で良かった事だと思っています。
どうせ相談するなら、留学経験者に相談すると良いと思います。行った事ない人には、留学の事はわからないですからね。
今でも世界中飛び回って仕事できるし、どこかの国に行けばそこで頑張ってる日本人・外国人の同級生が居ます。一生付き合える日本人・外国人の仲間が出来ただけでも、財産じゃないですか。
1度きりの人生です。自分で何か決断して、知らない土地に行こうと思っただけでも、すごい事じゃないですか。行けるなら、今すぐ行きましょう。時代の流れも速いです。完璧に準備してからじゃ、遅いです。
幕末。日米修好通商条約で50名内外の日本人が国費留学で出ていった。勝海舟、福沢諭吉、小栗忠順など。そして明治政府の主要人財となった面々。 彼らを選んだ井伊直弼が近代日本形成の最大の功労者だった。
どうせ行くなら、やっぱり勉強も遊びも本気でやった方が良いです。自分でやりたいって決めた事なんだからね。
あの当時にブログとか書いてたら、面白かったよなー。
以上、またよし れい(@sayobs)でした。